癒される音楽とは

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ストレス社会ニッポン。「癒し」に関するブームが次から次と現れています。

「癒し」。それはヒーリングと言ったりもします。ペットと過ごすのも癒されるだろうし、アロマで癒される人も多いらしいし。そういえば近頃、酸素バーなるものがあちこちに登場していますが、あれはどんな感覚なんだろう、どうなんだろう?
それはさておき、手っ取り早いのはやはり音楽でしょうか。ヒーリングミュージックのCDは今ではインテリアショップやカフェでも売られています。癒しの空間に癒しの音楽、今では欠かせないアイテムとなっているのは確かです。

でも私には、例えそれが“ヒーリングなんです、癒されるんです”と言われても決して癒されない場合があります。
それはたとえばこんな時。
やれやれちょっと休憩、と思って入った喫茶店でうっすらと音楽が流れている、というのはよくあること。しかし、そのBGMが、かつて自分が演奏したことのある曲だったりすると、そこはもう癒されない空間と化してしまいます。どうしてもその曲を聴き流すことが出来ない。特に試験やコンサート、厳しい先生のレッスンなど、緊張を伴う場面で関った曲などはもってのほか!「この部分が弾けなくて怒られたなぁ」とか「このフレーズ、あの時もっと上手く歌いたかったのに」とか「この演奏者、次はどう歌うかな?」等等・・・本気モードのスイッチが入りついつい真剣に聴いてしまうのです。
またジャンルに関係なく、いいなあと思う曲が流れていると、今度はどんな時にどんな風に歌おうか、などと空想に入ってしまいます・・・ああ、癒されない。
ではいっそ音が無ければいいのかというとそうではなく、ある程度の静けさは気持ちが落ち着くけれど、あまりに無音が続くと騒音に近いくらいの苛立ちが起きるそうです。

そもそも“音”や“音楽”はジャンルが多い分だけ好みも多様化しているわけで、ある人には癒されても、ある人には騒音だったりします。数十年前の日本では、敵国の音楽は禁止だったそうですが、自分の好きな音楽を自由に選ぶことが出来るという現代は、非常に幸せです。
それでも日本はストレス社会・・・自由が多いのは不自由?