読書は心の・・・

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 図書館のないある村が本の寄付を呼びかけたところ、全国から3万冊もの本が集まった、というニュースがありました。

 
コンサートや公演で様々な町に行くのですが、ある小さな町での公演の時のこと。
その日の公演会場は町の公民館で、そこには図書館も併設されていました。日ごろよく図書館を利用する私はこの図書館の様子を見たくなり、空き時間にちょっと覗いてみました。すると休日ということもあってか子供たちでいっぱい!しかし蔵書はさほど多くはありませんでした。
それでも書棚を前に、背表紙の文字を追いながらあれこれ吟味して本を手に取る子どもたちはとても楽しそうでした。もっと多くの本と出合うことが出来たら、この図書館という空間はもっともっと夢いっぱいになるだろうに・・・。そう思って楽屋に戻ったのでした。
一方で、本が部屋を占拠して困る、売るか捨てるかしなければ大変でござるという人も多いのです。本のリサイクルショップもあちこちにあり、利用する方も多いことでしょう。
“こういった方々の本を集めたら立派な図書館ができるのではないか?”とふと思ったりするわけです。
私は読書が好きで、面白いと思う本があると「この本は面白いから絶対読むべし!読まなきゃ損!いや読まなきゃ非国民!」と家族や友人に半ば強引に勧めることがままあるのですが(被害者のみなさん、ごめんなさいね)、そんな私のような恩着せがましい人にとっても、自分の勧めたい本を置くことができるスペースがあれば嬉しいものです。
 
 「読書は心の冒険である」
ある方がこう仰っていたのを今でも覚えています。

大事にします。

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2週間ほど前、胡蝶蘭をいただきました。
届いてまず驚いたのはその大きなダンボール箱!!自分の肩くらいの高さのダンボール箱がドーンと届いたのです。どう開ければいいのやら・・・ダンボール箱の周りをぐるぐるまわり、しばし考える。そうだ、上部から切り開いてみよう!!ということで、まずは折り目にカッターで切り込みを入れ、慎重に箱を解体してみる。しかし大事そうに梱包され、箱の内部に要所を固定されている胡蝶蘭さま。(随分と大事にされているものです。)そーっと固定されているテープをはがし、ダンボールに切り込みをいれ、さらにテープをはがしてダンボールに切り込みをいれ・・・手間暇かけてようやくそのお姿を現した胡蝶蘭。
真っ白な花弁が羽を広げたように開き、几帳面に縦に並んで咲いている。その気品ある存在感にしばし圧倒され、なんだか落ち着かなくなる私。
「はて、この違和感は何だろう?」
我が家のリビングに胡蝶蘭とは何とも不思議な景色なのです。植物は好きなのでリビングにもベランダにもあるのですが、私の植物選択の基準は丈夫で手間がかからないこと。室内にはコーヒーの木(実を収穫したことアリ)と花キリンがあり、いずれもお手入れラクラク。大雑把なお手入れにもハイハイと答えてくれるいい仲間なのです。そこにやってきた転校生の胡蝶蘭。
「何だろう、この違和感。」
一般家庭にデヴィ婦人が来ちゃったような、そんな違和感とでも言いましょうか。はたまたユニクロの服を着ているのにエルメスのバックを持たされたようなミスマッチと言いましょうか。あるいは異文化交流とでも言いましょうか。
しかし胡蝶蘭をいただくとはおめでたい、頑張って仲良くしようではないの!と、添付されたお手入れ方法の用紙を読んでみると、
“乾燥はダメ!水はやり過ぎない、やり方にも注意!直射日光はダメ!エアコンは苦手!ホコリに注意!エトセトラエトセトラ・・・・”
どうやら自分より手のかかる植物のようです。仲良くなれるかな。いや、ここはひとつ贈ってくれた方の気持ちに答えるべく仲良くしようではないか!!
そうして育てること2週間。まだまだよそ行きの接し方をしているような気がしてならない。なるべく早くこの胡蝶蘭さまと打ち解けられるよう、努力したいと思います。
 この暑い夏をどうやって乗り切るか。自分の健康以上に胡蝶蘭さまのご様子が心配な毎日です。
 皆さんも健康に夏を乗り切って下さいね。
 

ちょっとぼやき・・・・

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最近のテレビを観ているとどうしても感じてしまうことがあります。
私達はマスコミの流す情報に操作されている部分が多大にあるような気がしてならないのです。情報は必ずしも正しいとは限らない。にもかかわらず、その報道によって民意が一方向に流れかねない。
たとえば街頭インタビュー。放送局の意に沿ったコメントを選択して多用すれば、それは一般の大多数の意見として放送されます。その事によって反対の意見が消されている可能性があります。また最近はコメンテーターなる人々が登場する場合が多いのですが、放送局からの意図があるのかないのか、彼らは番組の流れに沿ったコメントをすることが多いように感じられます。中には安易なコメントをする場合も多く見受けられる。
ではそこに視聴者の考える余地は残されているのでしょうか。言葉は悪いのですが、誰かを血祭りにあげて揶揄しているようなふうにさえ感じてしまうのです。
最も新しい話題で言えば、鳩山元首相の退任もそうです。これまでかなりの批判をし、その責任問題や日本はこのさき真っ暗だと煽り、いざ退任となると任期を全うせずに無責任と・・・
マスコミは自らが無責任ではないと言い切れるのでしょうか。不景気の中で情報の扱いが粗雑になってはいないでしょうか。
世の中は変化を求めている一方で、あまりに結果を早く求めすぎている部分があるのかもしれません。急いで解決しなければならない問題もあれば、そうではない事柄もあるはずです。
これは何も今回の辞任劇だけに限ったことではありません。芸能人やサッカー日本代表の岡田監督、朝青龍に対するバッシングなどにも顕著にみられることです。
あらゆる物事が溢れかえり、一見便利に見える現代。自由に何かをするには必ずそこに責任が生じるということを忘れてはならないように思うのです。情報過多の世の中では、冷静にその情報を咀嚼しなければいけない。マスコミに民意を操作されるような気がして、何だかムズムズした感じがしてしまうのです。

窪田晶子の音楽はごちそう

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 News Piccola紙面になかなかコーナーが設けられないのでここでご紹介。今回は今限られた映画館でのみ公開されている映画「ドン・ジョヴァンニ~天才劇作家とモーツァルトの出会い」のご紹介です。

 
「物語が誕生するとき、その作品の中に作者自身が見え隠れする。」
オペラ「ドン・ジョヴァンニ」が題材とくれば、自ずと主人公はモーツァルトだろうと思うでしょう。しかしこの映画の主人公はロレンツォ・ダ・ポンテ。
ダ・ポンテといえばモーツァルトの代表作「フィガロの結婚」「コシ・ファン・トゥッテ」を手がけた台本作家です。ダ・ポンテがオペラ「ドン・ジョヴァンニ」をモーツァルトとともに完成させていくストーリーです。
《ロレンツォ・ダ・ポンテは神父として仕えながら自由や芸術を愛し、放蕩三昧の日々。ユダヤ人である彼は秘密結社に属し、教会に反逆したとしてヴェネツィアを追放される。カサノヴァ(彼も多く映画化された人物です)から自由な気風のウィーンへ行くことを勧められ、彼の紹介でサリエリに出会う。放蕩者として噂されるダ・ポンテに興味を示した皇帝ヨーゼフ二世が、モーツァルトのオペラの新作を書くように提案する。
その題材は「ドン・ジョヴァンニ」。しかし、すでに同じ題材で何度も舞台化された作品であるとモーツァルトは抵抗する。が、ダ・ポンテの口から語られるその魅力的なストーリー展開に引き込まれ、モーツァルトも作曲に熱を込め始める・・・》
 
二人の天才が出会い、傑作オペラが誕生するまでのお話。「ドン・ジョヴァンニ」ではキャラクターの異なる3人の女性(ドンナ・アンナ、ドンナ・エルヴィラ、ツェルリーナ)が登場しますが、その3人の女性がなぜオペラに登場することになったのか・・・その筋道を作るべくヒントとなったダ・ポンテを取り巻く女性たちとそのシチュエーション。加えて作家として危機的な事態。それらはある意味大きなヒント、チャンスとなって台本を傑作へと導き完成していく。
このオペラを知っていてもいなくても、ダ・ポンテの魅力的な描かれ方に引き込まれていくうちに、いつのまにかオペラ「ドン・ジョヴァンニ」を楽しんでいるという感じです。
またこの映画のもう一つの楽しみは、モーツァルトとダ・ポンテという二人の天才の饗宴でしょうか。この二つの才能が化学反応した時にどれほどすばらしいものが生み出されるのか!喜怒哀楽、彼らの感情が極限に達した時のインスピレーションはエネルギーに満ち溢れ、今はやりの3Dを見ているかのように、その才能が立体的に感じられるのです。
この映画では要所でアリアやアンサンブル、弦楽演奏が挿入されています。これらは監督の意向で吹き替えはありません。その歌声も非常に聴き応えがあります。
ダ・ポンテが本当の愛を求めるときに流れるのが「フィガロの結婚」からケルビーノのアリアということも興味を引くところではありますが、私が最も印象に残るのは、どこか根底に“騎士長”の影を感じること。映画の始まり方、モーツァルトとダ・ポンテの精神的なターニングポイントとその後の人生・・・オペラ「ドン・ジョヴァンニ」での騎士長という存在の意味が反映されているような気がしてなりません。

3月20日

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3月20日のコンサートは題して「オペラの明日へ」!!

これまで上演してきたレパートリーの中からアリアやアンサンブル、そして後半ではゲストにピアニストの山田武彦さんをお迎えし、いろいろなオペラのいろいろなアリアをお聴きいただきました。ご来場の皆様、たくさんの拍手をありがとうございました。

 

今回はとにかく盛りだくさんのプログラムで、演奏する私たちは次から次と違うキャラクターに変身!次々にメイクを変え衣装を替え・・・楽屋は戦場と化しておりました。改めてそのボリュームに驚嘆します^^;

何と言っても今回は山田武彦さんという素敵なピアニストが出演してくださったことがとても嬉しかったのです。

“音を楽しむ”

“音と戯れている”

山田さんがピアノを弾いている時、そう見えて仕方がなかった私。

音符が目の前で楽しそうに踊っているよう。また演技も交えてくれたりして、今までとは一味違ったステージをお楽しみいただけたのではないでしょうか?

 

過去の上演作品を演奏するということ。過去の公演を思い出して懐かしいような、でも時を経てどこか新鮮な気持ちでそれぞれの作品と再会しました。

個人的には「ヘンゼルとグレーテル」です。公演したのは今から約7年前。自分は7歳年を重ねているのにグレーテルは子供のまま・・・まさにサザエさん一家と同様なのですね。カツオくんやワカメちゃんがいつまでも小学生であるのと一緒なわけです。

でも時間を経て改めて気づくこともいろいろありました。音楽的なこと、細かな表現のことなどなど。気づくにつれまた新たに作り出したい気持ちにもなり・・・そうさせてくれる音楽ってやっぱりスバラシイ!!

子供役のみんな、ありがとう!

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今から一ヶ月前。

新国立劇場公演に向けて、私達は札幌で激しく稽古に明け暮れておりました。

 

あれから一ヶ月。

今日、朝青龍が引退を表明しました……と、そちらの話題ではなく、

オルフの音楽にどっぷり浸かっていた日々から一ヶ月が経つのです。

 

 新国立劇場公演では、八千代少年少女合唱団の皆さんが参加してくれました。とても実力のある合唱団と聞いていましたが、これが本当にお上手!!団員は4、5歳位の小さな子から高校生まで。お姉さんたちがしっかりと小さな団員をまとめていて、みんなお返事もご挨拶もしっかり出来る!!(それを見て、こちらもシャンと背筋が伸びるのでした。)そんな皆さんですから、ハードな立ち稽古やリハーサルをきちんとこなし、まとまりのあるしっかりとしたハーモニーで歌ってくれたのでした。みんな、ありがとう♪

 今回の舞台は、工事現場で使われるイントレ(足場)が組まれており、その2段目あたりを行ったり来たり、そこで歌ったり演技したりと、高所恐怖症の方には(私がそうです)手に汗握るセットだったのです。が、この少年少女合唱団の小さなお子さんたち、まだ幼稚園児なのに全く恐がりもせず、演技をして歌っているではありませんか!私がちびっこだったら間違いなく泣いていたと思います。いやはや感心です。

 と、このことをあるスタッフに話したところ、

「子供だから平気なんだよ」と……

 

そうだ。子供は怖いもの知らずなんだ。

 

そういえば私も小さい頃、スキー場のどんな急な坂でも、華麗なるプルークボーゲンで滑っていたのでした。

ああ、怖くなかった、あの頃。

小学生になって急に怖くなったのを思い出しました。

私の事はさておき、

大人の言う事をきちんと聞いて、お客さんの前でしっかり役割をまっとうしてくれた八千代少年少女合唱団の皆さんに感謝です!

 

「月を盗んだ話」@新国立劇場

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 新国立劇場でのオペラ「月を盗んだ話」公演、無事に終了しました。ご来場下さった方、また遠くから応援して下さった方、本当にありがとうございました。

 当初の心配もよそにおかげさまで全公演が満員御礼!多くのお客様に観ていただくことができました。しかし早くにチケットが完売となったために、ご来場いただけなかった方も多くいらっしゃいました。(申し訳ない気持ちでいっぱいです)

 支えてくれた多くのスタッフ、この公演のためにお月様募金にご協力下さった皆様、ほか多くの方々のお力添えでこの公演が実現しました。感謝感謝です!

 

 思えば2年くらい前でしょうか。新国立劇場からお声がかかり、公演に至ったわけですが、あの時「2010年」という年が、遥か先の未来のように感じていたのです。

 しかしちゃんと来るものです、2010年。決してあっという間ではありませんでしたが、着実にその時はやってきました。

 とにかく昨年末から稽古に明け暮れていましたので、スタッフやメンバーと長い時間を共にしてきました。公演が終わり、皆が札幌へ帰って行くのを見て、ちょっと淋しさを感じてしまった私です。

 

 公演中のイロイロはまた次回!

  

 

 しばらく冬眠中だった「晶子の小話」でしたが、

ようやく目覚めましたので(汗)、今年はちゃんと更新しようと思います!!!!

 皆さん、小話におつきあい下さいね〜♪

 更新する励みになりますから(笑)

プロンプター

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先日、ニュースでこのようなことが言われていました。

「アメリカのオバマ大統領が演説などでプロンプターを見過ぎている。」と。

サンプラザオペラ

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かなり長いことこのコーナーを放置してしまいました・・・

数少ない読者の皆様、窪田晶子は元気ですのでご心配なく(笑)。

 

映画「ラ・ボエーム」

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プッチーニの有名なオペラ「ラ・ボエーム」が映画になり、来年公開になります。

一足早く、試写会で観てきました。

 

この映画ではミミをアンナ・ネトレプコ、ロドルフォをローランド・ビリャソンが歌い演じています。今をときめくこの二人の歌声がまずは何よりも素晴らしい。ネトレプコのあの伸びやかで情熱の混じったような音色が細部まで音楽を作り上げ歌い上げ・・・ミミのアリアは2曲とも圧巻で鳥肌が立ってしまいました。

 

舞台で演じる場合とは違い、映像のなせる業が思いっきり発揮されているのは街中のシーンと別れのシーン。

街中のシーンは、舞台上では大勢の合唱に圧倒され、メインキャストたちの存在が薄くなりがちですが、映画とくればそれは全く問題ナシ!カフェの中と外を巧みに使い分け、様々な角度からストーリーを追っていくことができる。街の賑わいもメインキャストのやりとりもくっきりと解りやすくなっています。

 別れのシーンでは雪が降る中で遠近感とモノトーンの色調が淋しさ悲しさを表現しています。

“後ろ向きで歌うこと”。

舞台ではほぼ出来ないことですが、映画だとそれは可能。しかも効果的!背中で訴えかけることの表現としての強さを実感します。ゆえに、このシーンでのミミのアリアは涙をそそります。(ハンカチを取り出している人が多かった)

 

反面、映画では難しいなぁと思うこともあります。

“舞台”・・というよりも“ホール”という広い空間でこそ受け止められるスケールの大きさがオペラにはあります。映画ではホールのような余韻がない分、大きな感情の変化を受け止める間もなく進んでいってしまう感覚に陥ってしまう。だからミミとロドルフォの間に愛が芽生える時が少し唐突に思えるかも知れません。音楽は止まることなく進んでいきますから、このあたりは(特にプッチーニのような音楽の場合は)難しいのかもしれません。

 

 この映画ではっとしたこと。それは・・・

ミミという女性の描き方です!

オペラ人はミミに対してちょっと先入観があるのかもしれない。

この映画の監督ロバート・ドーンヘルムのミミの解釈はそうなのか~~~~!!

きっと驚くと思います。でもこの解釈にアンナ・ネトレプコの声質はぴったり。

 

ということで、来年公開のこの映画。

どうぞお楽しみに!!!

 

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