piccola: 2010年6月アーカイブ

ちょっとぼやき・・・・

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最近のテレビを観ているとどうしても感じてしまうことがあります。
私達はマスコミの流す情報に操作されている部分が多大にあるような気がしてならないのです。情報は必ずしも正しいとは限らない。にもかかわらず、その報道によって民意が一方向に流れかねない。
たとえば街頭インタビュー。放送局の意に沿ったコメントを選択して多用すれば、それは一般の大多数の意見として放送されます。その事によって反対の意見が消されている可能性があります。また最近はコメンテーターなる人々が登場する場合が多いのですが、放送局からの意図があるのかないのか、彼らは番組の流れに沿ったコメントをすることが多いように感じられます。中には安易なコメントをする場合も多く見受けられる。
ではそこに視聴者の考える余地は残されているのでしょうか。言葉は悪いのですが、誰かを血祭りにあげて揶揄しているようなふうにさえ感じてしまうのです。
最も新しい話題で言えば、鳩山元首相の退任もそうです。これまでかなりの批判をし、その責任問題や日本はこのさき真っ暗だと煽り、いざ退任となると任期を全うせずに無責任と・・・
マスコミは自らが無責任ではないと言い切れるのでしょうか。不景気の中で情報の扱いが粗雑になってはいないでしょうか。
世の中は変化を求めている一方で、あまりに結果を早く求めすぎている部分があるのかもしれません。急いで解決しなければならない問題もあれば、そうではない事柄もあるはずです。
これは何も今回の辞任劇だけに限ったことではありません。芸能人やサッカー日本代表の岡田監督、朝青龍に対するバッシングなどにも顕著にみられることです。
あらゆる物事が溢れかえり、一見便利に見える現代。自由に何かをするには必ずそこに責任が生じるということを忘れてはならないように思うのです。情報過多の世の中では、冷静にその情報を咀嚼しなければいけない。マスコミに民意を操作されるような気がして、何だかムズムズした感じがしてしまうのです。